大津司郎、Go Global Africa塾

Go Global Africa 短信(アーカイブ)

2013年: |〜9.28〜10.5〜10.23〜11.6〜11.22〜12.31
2014年: |〜1.19〜3.3〜5.20〜9.24
2015年: |〜1.24 |〜2.18 |
配信日 内容
2015.2.18

▼捕まらないために▼

以前にも書いたが危険地帯取材で《安全/security》を超えるプライオリティ(順位)はない、取材の成果、内容はその次である、死んでしまったら「本人」が伝えられるものはゼロである、死してなお伝えられると思うもの――それは事後マスコミ、知人、友人たちの想像であり、時に感傷っある(私見)
→そう考える時、2004年イラクで日本人三人が捕まり、その後も時折中東、アフガンで拘束がありながら、何故捕まったのかといった《安全》に関しての本格的議論、コンセンサスがジャ―ナリスト、NGO業界?で成されてこなかった、というのはノ―天気、怠慢という他ない、例えば自衛隊がいたから捕まったなどというのはその後の議論だ、ちなみにsecurity(安全)のもうひとつの意味は担保である、現場では限りなく“現金”(それなりの取材費)のことである(以上長々と個人的見方を失礼しました)

2015.2.11

「リング外バトル力」と「戦場ジャ―ナリスト」

★今のグロバリゼ―ション、ワタシの俗解釈によれば、〈場外乱闘〉〈リング外バトル〉と同意味だ、今回の人質解放交渉、取引等、言ってみればリング外バトルの究極のみたいなものだ、だが戦後70年営営と経済(利益)追求にのみ力を注いできたワレワレに世界で通用する場外乱闘力はほとんどnothing(拉致問題を解決できないのも似たようなワケ)
★わざわざ関係の希薄な国から出掛けて行く“戦場“ジャ―ナリスト――スマホをはじめとしたSNS全盛の今、ほとんど死語に近いと思う、現地、地元の人間、被災者を超える“戦場“ジャ―ナリストはいない、まあメディアの責任も大だが、自己錯覚に近い(とワタシは思う)、ベトナム戦争以降アメリカのおかげであれほど自由に取材できる“戦場”はないし、今はせいぜい紛争地帯ジャ―ナリスト、orレポ―タ―ってところかも

2015.2.6

☆後藤氏の死を“讚美”すればするほど(マスコミの責任大)当然それに対する反発が出るのが世の中、事実の報道を中心にもう少しク―ルでありたい
☆二人の死をめぐって様々な意見が飛びかっている、何故救出できなかったのか、殺させてしまったのか等々、しかし紛争地取材を長くやってきた者として、それ以上に「何故二人は捕まってしまったのか」について考えなければならない、現場目線に立つ時最大のポイントだ、だがほとんど分析、言及されてない(マスコミにとっては数字の取れる感動ネタにしたい)、恐ろしくナイ―ブでノ―天気だ、これではまた起きる

2015.2.1

●「アメリカン・スナイパ―」(ワ―ナ―・ブラザース/クリント・イストウッド監督、今月日本公開)/イラク戦争時160人(最高数)のイスラム教徒を殺した米軍スナイパ―が精神を病み家庭崩壊へと至る話し、全米NO.1ヒット、今日映画関係者と会って話を聞いた、2004年4月バグダッド(イラク)で立ちレポートをやっている時ふと振り返るとビルの各所にスナイパ―が構えていたのを思い出した、時期が時期だけにと思うがアメリカ国内での支持は圧倒的という
●今、欧米のメディアの間で真のテロの専門家とは誰なのかについて論争
●(今回の件に関し)ワイドショ―をやっているのか、報道、ニュ―ス番組をやっているのかサッパリわからない、〈国際問題〉の存在しない日本のテレビ報道のレベルの低さ、この国の危機感の無さ
●今回二人の死は辛すぎるが、捕まったという点に絞れば残念ながら100%自己責任です(同業としての見方)