大津司郎、Go Global Africa塾

Go Global Africa 短信(アーカイブ)

2013年: |〜9.28 |〜10.5 |〜10.23〜11.6〜11.22〜12.31
2014年: |〜1.19〜3.3〜5.20〜9.24
2015年: |〜1.24〜2.18
配信日 内容
2013.10.5

●今日は何も書かずにおこうと思いましたが・・・、ナイルで出会ったムクーブワ・サイドの続きを少しだけ→→1984年、ナイルを特集する番組のロケで、南スーダンのジュバに来ていた、ナイル河を見ようと森を抜けると、目の前に褐色の流れが溢れていた、エジプトのアレクサンドリアからさらに5000キロ上流でもなおその流れは衰えを知らなかった、岸辺の崖の上に立つと下のほうに人の気配を感じた、そこに体中石鹸まみれになった素っ裸の男がいた、それがムクーブワ・サイドとの出会いだった、崖下に降り、オレタチはスワヒリで会話した、そばにはナイルが奔流となって地中海に向かっていた、男の頭と足の甲にはナタでえぐられたような深い傷がありまだ血がにじんでいた、これから新しい暮らしを求めてイタリア(6000キロ?)に行くと聞いたとき、オレは感動と、アフリカというタフな世界に引きずり込まれた

●アフリカ大陸からヨーロッパ、中東へのルートは3ルート①モロッコ~スペイン(主にサヘル等の西アフリカ系)②リビヤ~マルタ、イタリア(西アフリカ系+圧倒的にソマリア人、エリトリア人)③アフリカの角~イエメン(ソマリア人、エリトリア人、サウジアラビア、イスラエルを目指す)、今もなおアフリカ人たちの苦難の旅は続く・・・・
長々と失礼しました

2013.10.3

pick up

●スーダンの首都ハルツーム他で反政府デモ多発、死者30人以上、拘束多数、1989年以来独裁体制のこの国に“春”は来るのか、南部(分離独立/2005)を失った北に石油資源はほとんどない

●500人以上の難民、亡命者を乗せ、リビヤからイタリアに向かう船が地中海で転覆、100人近くが溺死、140人以上救出/以前からずっと注目していたが今回は最大規模の惨事、もう一つのルートはアフリカの角からイエメン・ルート
↓↓
アフリカの経済成長が言われるが大陸を脱出、夢を追ってヨーロッパに向かうアフリカ人たちの流れは止むことを知らない、80年代、南スーダンのジュバを流れるナイルの河畔で逢ったタンザニアの男は徒歩!でイタリアに向かうと話してくれた、他にも80人の仲間がいたがゲリラの襲撃でばらばらになったと・・・、男の名はムクーブワ・サイド、ザンジバル出身

2013.9.30

think about

(1)現在、被害者(犠牲者、行方不明者等々)からケニヤ政府の安全対策、対応に関して重大な異議申し立てが起きている、警告は専門家によってかなり以前から発せられていた、しかし結果は想像をはるかに超えた惨劇に終わった

★(2)<アルシャバブのメディア戦略>
2001年9月、衝撃的ライブ映像が全世界に流れた、高層ビルに突っ込む旅客機、炎上、崩壊するビル・・・、しかし今回のウエスト・ゲートアタックは、もしかしたらそれ以上の影響・効果を全世界にもたらした、9・11から10年余、テレビ、新聞、ラジオに加えネット、SNSの格段の発達、数日間にわたって現場周辺にいたありとあらゆる類の人間たちの機器から無制限に情報は垂れ流された(発信したすべてが“ジャーナリスト”だった)、その力、情報量は9・11をはるかに超えている、その意味でもケニヤの失態のイメージ、ダメージはさらに大きい、仮にこれが片方でツイッターを使いこなすアルシャバブのメディア戦略だとしたら次に来るのはいったいどんな<●>なのか、今、正否を含めメディア・ジャーナリズム的分析、評価が動いている