TOP PAGE

No.7 アフリカン・バビロン2/難民の家族)

素材となった写真:
1994年8月15日キブンバ難民キャンプ、ザイール(現コンゴ民主共和国)にて撮影


作品の説明

キャンプの中をさ迷い歩き疲れたわたしの目の前に親子が座っていた、わたしはシャッターを切った。後で現像しよく見てみると背後には十数人の子供たちが写っていた、ほとんどがカメラ目線だった。その時はそれに気づく余裕もなかった。いったい彼らは何故わたしのカメラを見つめてくれたのか、わたしとレンズと彼らの間にいったいどんな会話、交感があったのか・・・・。子どもたちの多くは両親とも離れ離れになったり、兄弟の行方すら知らない者たちが多い。ちょうど今(2014年)から20年前の話しだ、その後彼らはどうなったのか・・・・。

96年のRPF(ルワンダ愛国戦線)/ADFL(コンゴ・ザイール解放民主連合)軍のキャンプ攻撃、破壊によってルワンダに逃げ帰った者たち、反対にさらに西のコンゴのジャングルへと逃げて行った者たち、彼らの明暗は分かれた。祖国ルワンダに帰った者は多くの苦労と困難があったかもしれないが、今は新しいルワンダの国造りに参加しているかもしれない。一方コンゴ(ザイール当時)側にフツ族過激派とともに逃げて行った者たちの運命はさらに苛酷だった。中にはRPF/ADFL軍の追及によって命を落とした者も少なくないという。こうした戦いの背景、ルーツを理解するのは容易ではない。「資源」「民族」「土地」「政治」等々、さまざまなワケと理由が複雑に絡み合っているからだ。ただ、名も無き、無実の人間たちが今なお一部アフリカの戦いで日々命を落としていることだけは確かだ(コンゴ民主共和国ではその後の長い戦いで500万人を超す人間が亡くなっているという)。

難民たちの後ろに見える山、左手はミケノ山<4437m>、右手の隅がカリシンビ山<4507m>だ、雨期にはいただき白いもの(雪)が見えることもある、そうした時のキャンプの寒さはまた格別だ、難民たちは寒さに震えていた。

  • 技法:ベニヤ板にアクリルカラーでペイント

掲載した作品は販売いたします。
店舗スペースのデザイン等のご相談にも応じます。
お気軽にご相談ください。

お問い合わせ

大津司郎プロフィール