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No.15 ジェノサイド・チャーチ(教会)Genocide Church

素材になった写真:
7月8日1995年 タラマTarama、カンゼンゼKanzenze、ルワンダRwandaにて撮影


作品の説明

〝ルワンダ虐殺(1994年4月~7月の間に約80万のツチ族、フツ族穏健派がフツ族過激派/インテラハムウェの手によって殺害された)〟からほぼ1年後の95年7月、わたしは取材のため、首都キガリから南へ約30キロ、車にして30分ほどのところにあるタラマ教会を訪ねた。前年94年4月の虐殺時、タラマ教会では教会に逃げ込んだ約5000のツチ族が殺されたという。ツチ族殺戮の急先鋒、フツ族過激派/インテラハムウェ(Interahamwe)は教会を取り囲み教会に対して散発的攻撃を加えてながら、重装備の政府軍の到着を待っていた。軍が着くや、彼らは手投げ弾、機関銃などで教会を攻撃、爆破で破壊された数か所の壁の穴から内部へ乱入。ナタ、こん棒、石などで瞬く間に数千の人間を屠った。

1年後(95年7月8日)、タラマを訪れた。教会の内部に入るや信じ難い光景が目の前にあった。臭いもさることながら、目の前にまるでゴミのように散乱した無数の〝人間〟の死だ。そこに人間としての誇りも尊厳も一切なかった。ただあるのは人間という一生物種のゴミ的散乱だった。皮肉なことに骨と化した死体とともにあったメガネ、アルバム、靴、帽子、ネックレス、ノート等々がこの死体が人間であったことを伝えていた。

内部の撮影を終え、外に出ると、今にも倒れそうな棚の上に累々と骸骨が並びその下には無数の骨が積まれていた。ちょうど一人の少女が棚の上の骸骨を見ていた。少女の気持ちがいったいどんなものか・・・、聞くすべもなかった。教会の中からはたまたま同行したアメリカ人女性の〝Never never...!〟という狂ったように泣き叫ぶ声が聞こえていた。さらにわたしは数少ない生存者の内の二人にインタビューをした。

  • 技法:イラストボードに線画(水性サインペン)

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