作品の説明アヨド村は1994年ピュリッツア―賞(報道部門)を受賞した〝ハゲワシと少女〟の舞台となった村だ。1993年3月当時、取材で内戦と飢餓で打ちひしがれていた南スーダン、アヨドを訪れた南アのフリージャーナリスト、ケビン・カーターは偶然にも目の前でうつぶせに倒れているわずか数十m背後でじっと少女を見つめるハゲワシと少女の写真を撮った。写真がニューヨークタイムズに載るやタイムズのオフィスには世界中から電話、ファクスが殺到した。ほとんどが〝何故写真を撮っている時間があったら少女を助けなかったのか〟というケビンを強く非難、抗議するものばかりだった。 わたしはケビン・カーターが訪れてから半年後の10月、2回アヨドを取材した。線画はその時訪問したアヨド食料配給センターで食べ物の配給を待つ子供たちを撮った写真を基に描いたものだ。半年前にケビンが訪ねた当時よりは幾分栄養状態は改善されたとはいえ、多くの子供たちが依然深刻な飢えに直面していた。 多くの非難が寄せられた後、1年後の94年5月ケビンはヨハネスブルグ郊外で停めた車の中にホースで排ガスを引き込み自殺した。だがケビン・カーターの名誉のために言うなら、少女は決してハゲワシに襲われたり、殺されることはなかった。何故なら、少女の近く、ケビンの周りにはゲリラ関係者、村人など少なくない数の人間たちがいたからだ。彼らのモニター、案内なしに当時内戦で緊迫していたアヨドを一人で動き回ることはできなかったからだ。ましてや後のインタビューに答えて、ケビンはジャーナリストとして耐え難い状況に何度も涙し、また何度もハゲワシを追い払ったと語っている。わたしが訪れた時、配給センターから500mと離れていない場所で早朝からSPLAのゲリラたちが激しい訓練に明け暮れていた。撮る側、撮られる側、なかなか〝真実〟は伝わりにくいものである。
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